会社と家族の歴史、次世代へ 改造担当の元造船業者 1日で第五福竜丸被曝60年

(02/28 14:16 時事通信配信)

静岡県の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が、太平洋ビキニ環礁で行われた米国の
水爆実験で被曝してから1日で60年。同船は1954年の被曝後に練習船として生まれ
変わり、67年の廃船まで航海を続けた。改造を担当した三重県伊勢市の強力造船
所(現ゴーリキ)社長の強力修さん(63)は、第五福竜丸に関わった会社と家族
の歴史を次世代に伝えようと考えている。

第五福竜丸は被曝直後の54年5月、文部省(当時)が買い上げ、改造されることに
なった。船体の残留放射能は問題ないレベルだったが、「死の灰」を浴びた船の
改造工事の入札に手を挙げる業者はいなかった。

「木造船のことなら何でも引き受ける」。応札を決断したのは、当時会長だった
祖父善次さん。18年の創業以来、数多くの木造船を手掛けてきた。「職人として
のプライドがあったんだろう」と強力さんは話す。

しかし周辺住民の拒絶反応は強かった。「銭湯から『お宅の従業員には入りに来
てほしくない』と言われた」と元従業員木村九一さん(81)。工事を嫌がり退職
する従業員もおり、同社は医師を招いて安全性に関する説明会を開き、住民に理
解を求めた。船底は元のまま、マグロを入れる魚倉を教室や寝室などに造り替え、
同船は56年、「はやぶさ丸」に生まれ変わった。

幼かった強力さんは、改造工事のことはあまり覚えていない。善次さんや父で2代
目社長の辰夫さんから直接話を聞かされた記憶もない。しかし入社後、辰夫さんが
取引先と第五福竜丸について話すのを聞き、自然と同船と自社の歴史を学んでいっ
た。「周囲の反対を押し切って工事を引き受けた初代と2代目は度胸があった」

現在は物流保管機器メーカーとして事業展開しているが、社内には今も改造に使っ
第五福竜丸の設計図や工程表が保管されている。敷地内にある親族経営の別会社
の外壁には、同船の木材を使用した。

強力さんは、4代目社長に就く予定の長男雄さん(37)を商談に同席させる際、第五
福竜丸を話題にすることがある。「強力家のルーツは造船業。今は造船業者ではない
が、第五福竜丸はその象徴の一つ。家族と会社の歴史を次の世代に伝えていきたい」
と話している。